ごきげんよう。
8月15日
今日はお盆だ。お盆について、wikipediaから引用しよう。
伝統的には旧暦7月15日にあたる中元節の日に祝われた。日本では明治6年(1873年)1月1日のグレゴリオ暦(新暦)採用以降、以下のいずれかにお盆を行うことが多い。
旧暦7月15日(旧盆) - 沖縄・奄美地方など
新暦7月15日(もしくは前後の土日) - 函館[注 1]、東京・横浜・静岡・栃木市旧市街地、金沢旧市街地、白山市旧美川町地区、かほく市旧高松町高松地区など[10][11]
新暦8月15日(月遅れの盆。2.の地方では旧盆とも) - ほぼ全国的
その他(8月1日など)
現在では3.の月遅れ開催がほとんどである。
同時に8月15日は玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日で、一般的に終戦の日と認識されている。どちらであっても祖先や戦争について考えるにはいい日だろう。
お盆
正直に言えば、真剣にお盆を祝ったことは無い。形だけだ。これは自分の悪い点がなのだが、興味の無いものに関心を持てないので知ろうともしていなかった。さらにいえば、自分に説明や興味を持たせる努力をする人もいなかった。黙って言う通りしろ、黙って付いてきてやれ、なのである。これは結局、自分から教えを請わなかった結果だろう。知っている前提で進められるのだ。その後、自分で調べてあらましを知り、意義も理解はした。しかし、真剣に祝う事はもう無いだろう。極論すれば関心が持てないまま、もう終わったという認識になっている。何しろ先祖について、今まで一度たりとも話をされてないのだから。残念ながら、これからも聞くつもりはない。
菊と刀
日本の分析という意味では最も有名な日本文化論で英語の古典となるかもしれない「菊と刀」
終戦の日ということで、これまで読むことを先延ばしにし続けていた「菊と刀」を読んだ。
なお、Kindle Unlimitedの対象書籍なので、利用している人は一読を考慮してほしい。
予想通り、読んでいると不快な思いを所々で抱いてしまう。間違いや誤解が多く含まれているのは良く知られている。そもそも作者は日本へ来たことが無い状態で執筆を強行しているのだ。
そしてアメリカ視点で、日本の戦前戦中の精神論丸出しの非合理的な言説や行動が出てくるたびに不快感は高まる。これは作者やアメリカの責任では全くない。当時の精神論丸出しで指導していた連中の無能とそれを正せなかった人達の責任だ。明治時代は精神論で何とかしようとはしていなかった。昭和時代は慢心し、精神論で声の大きい連中を上に据える腐った組織に成り下がってしまっていた。それをアメリカ視点で冷静に分析され突き付けらえるのは辛い思いだ。日本の反省すべき過去だろう。
一方でGHQを嘘で美化するのは大変不快だ。憲法を押し付けるという暴挙や公職追放や厳重な言論統制をしておいて「日本国の国内問題は日本政府は通常の政治権力を行使することを許される」など宣うのだから随分と配慮が行き届いていることだ。さらに毎日新聞と朝日新聞を引用してさも日本の代表意見のように示しているのも不快だ。この辺りは単に作者が知らないのか、或いは見て見ぬふりをしてアメリカ賛美に誘導しているのかは判らない。何れにせよ、アメリカの反省すべき過去だろう。
鵜呑みにしない程度に前提知識がほしいが、終戦の日に「菊と刀」を読んでおくのは一興だ。昭和の精神論とGHQの暴虐への不快を忘れないで済むからだ。なお、もう一度は読みたくない。
終戦の日
終戦の日に思う事は、敗戦を反省し、より良い日本にすべく考えるべきということだ。
1.昭和の精神論は繰り返さないこと。
>昭和の精神論の老害の話題が定期的にあがる。明治の偉人を見習いたい。
2.GHQの暴虐は良く知っておくこと。
>憲法改正が第一歩か。スパイ防止法も早くほしい。
3.勝てない戦争は絶対に避け、戦っても勝てる同盟外交関係を構築しておくこと。
>中国ロシア朝鮮包囲網はそこそこ出来てきているが、間に合うか微妙。日本は頑張っているとも言えるが、問題はまだ未解決で並んでいる。考えるべき事は多い。
この記事へのコメント