表現の自由とヘイトスピーチ

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ごきげんよう。

アメリカ合衆国独立宣言はヘイトスピーチ?

Facebook、アメリカ合衆国独立宣言をヘイトスピーチと間違えてブロック
242年前にこの文章を書いたトーマス・ジェファーソンが「Native Americans」などという言葉を使うわけもないが、機械的なチェックでブロックされてしまったとみられる。

これまでも、そして今後も同様の問題は発生するだろう。時代ごとに基準が異なるのは当たり前であり、それを現代の基準で審査しようとすれば自ずと齟齬が発生する。
7月3日夜になって投稿は復元され、Facebookからコミュニティ規則に反していない投稿を誤って削除したなどと謝罪する電子メールが届いたそうだ。

最終的には人力での確認と復旧となったようだが、今後はどうなるのか。

フランス国歌

歌詞の最後が「我らの田畑に、汚れた血を飲み込ませてやるために!」と締めているフランス国歌。「暴君の血塗られた軍旗がかかげられた」なんて歌詞もあるがヘイトスピーチ扱いされるのだろうか。最近ではRADWIMPSの「HINOMARU」が批判されることがあったがフランス国歌と比較すれば軍歌どころか何のこともない愛国歌で問題があるとは思えない。RADWIMPSに対して抗議集会を主催した団体はフランスの国歌にも文句を言うべきではないだろうか。もちろん相手にされないだけではなく、反撃も食らう事だろうが。

表現の自由とヘイトスピーチ

アメリカ合衆国独立宣言やRADWIMPSの「HINOMARU」では表現の自由が侵害されていると感じる。歴史的な文言を規制するのは表現の自由、言論の自由の否定に繋がるだろう。RADWIMPSの「HINOMARU」をヘイトスピーチだと騒いだことに至っては意図的な言論弾圧だったと思う。ヘイトスピーチの指摘が言論弾圧を目的としたものであってはならない。個人的にはフランス国歌を認める度量が必要とされていると認識している。

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